この数年、地方に出かける機会が多く、地方をテーマにした本に目が行く。山本志乃『「市」に立つ 定期市の民俗誌』(創元社)もその一冊だ。
著者は大学院生のとき、千葉県大多喜町の朝市に通い、調査を行った。その後、30年にわたり各地の定期市を訪れ、売り手や客など市に関わる人たちの話を聞いてきた。高知の市でサカキとシキビだけを商う、いごっそう(頑固者)の男性。東北各地の市を回ってコンブを商う夫婦。彼らの生き生きとした言葉が書き留められている。
著者は市を「他者との関わりのなかで社会の成員として生きていく、その基本的な知恵をさずかる」場だとする。
一方、瀬尾夏美『あわいゆくころ 陸前高田、震災後を生きる』(晶文社)は、大きな力によって否応なく共同体という場が壊滅した後の物語だ。著者は震災後の3年間、陸前高田で暮らしながら、地元の人たちの話を聞いてきた。
土地のかさ上げによって、復興したように見える町に対して、地元の人たちが抱える複雑な「あわいゆく」感情を、著者は必死にすくい上げようとする。
藤井聡子『どこにでもあるどこかになる前に。 富山見聞逡巡記』(里山社)は、東京での夢やぶれて富山に戻ってきた著者が地元での「居場所」を求めてもがく奮闘記。
著者は富山で、世間の物差しにまどわされない人たちに出会う。しかし、北陸新幹線の開通によって、町は地ならしされたように平坦な風景になっていく。そのことをなげく著者に対して、酔っ払いの友人が「場所がなくなっても、人さえいればなんとかなる」と言う。すでに日本中が「どこにでもあるどこか」になりつつあるが、自分がどんな場所にしたいという思いがあれば、何かが変わるかもしれない。
地方における「人」と「場」を描いた点で、この3冊が特に心に残った。


