2023年03月30日

【おすすめ本】伊澤理江『黒い海 船は突然、深海へ消えた』─闇に沈む海難事故の真相を綿密な取材と証言で明かす=大治朋子(毎日新聞編集委員)

 15年前の初夏、千葉県の房総半島沖で一隻の漁船が深海に消えた。乗組員4人が死亡し13人が行方不明のままだ。
 当時、国が出した事故調査の結論は「波が原因」。だが関係者の間には釈然としない思いがくすぶり続けていた。
 2019年秋、一人のジャーナリストが偶然耳にしたこの事故に疑問を抱き、取材を始める。
 海難審判庁など役所の幹部、遺族、海に放り出されながらも生き残った乗組員――。インタビューに応じても、必ずしも取材に前向きとは限らない。生き残った乗組員らの口は重い。だが地道で実直なジャーナリストの姿勢が彼らの心を解きほぐし、一つ一つ重要な証言を取り出していく。

 沈没前、乗組員らは強い衝撃を感じている。ドスーン、バキッ。そんな奇怪な音も聞いている。
 「あれは波の音なんかじゃない」
 さまざまな証言が浮かび上がらせるのは、当時の不可思議な状況だ。
 事故直後、周辺の海は黒く染まっていた。積載していた燃料油が船底の破損で漏れ出したのか。だとすると、船は何かにぶつかったのか。だが付近は深海で、海底まで5キロはある。何らかの「動くもの」が衝突したのではないか――。
 著者はやがて「潜水艦の男」から証言を得る。
 海難事故の真相を追いかける謎解きと、緻密な構成、巧みな筆致にぐいぐいと引き込まれる。
 だが本書の魅力はそこにとどまらない。取材先に何度も足を運び、手紙を書き、公的文書を得るために情報公開請求を試みていく、そのひたむきな姿に心奪われるのだ。
 ジャーナリズムを志す、あるいは実践するすべての人に必読の書ではないだろうか。(講談社1800円)
「黒い海」.jpg
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2023年03月26日

【今週の風考計】3.26─WBC侍ジャパンが優勝した先の課題に目を据えて 

侍ジャパンの14年ぶりの優勝
WBC参加20カ国の頂点に立った侍ジャパン、おめでとう! この2週間、野球中継に釘付けとなった。とりわけ米国との決勝戦、侍ジャパンが1点リードした9回裏、リリーフで登板した大谷翔平投手の劇的な投球は、今でも目に残る。
大谷投手は、米国の最強スラッガーでエンゼルスの同僚でもあるマイク・トラウト外野手に、フルカウントから投げたスイーパーが大きく横に曲がり、思わずトラウトはバットを出し三振、ゲームセットとなった。歓喜にあふれる選手たちの映像に、我ながら感極まった。

WBCが抱える課題
新聞各紙も号外「侍J 世界一奪還」を発行、27日には『WBC2023 メモリアルフォトブック』(初版3万部 世界文化社)が発売される。優勝セールも予定される。その経済効果は600億円に及ぶという。
WBCによると4プールに分けた1次予選の観客数は前回大会から倍増、大会史上最多の101万人、準々決勝からのトーナメント7試合だけでも観客数は30万人を超える。
 だが<WBCは世界的人気イベントになれるのか?>と、いち早く問題提起する東京新聞3面総合欄「核心」(3/23付)の米フロリダ州マイアミ・浅井俊典さんの記事は注目していい。
その要旨をまとめてみると、「WBCを主催する米国大リーグ機構(MLB)の米国優先の運営には課題も残った。…米国が全試合を自国で戦った半面、準決勝で米国に敗れたキューバは台湾、日本、米国と3会場の移動を強いられた。…
 また米国大リーガー選手はケガに備えた保険加入が必要とされ、メジャー通算197勝を誇る米国のカーショー投手らは保険加入が認められず不参加。いかにWBCを米国リーグの利益に結び付けるかに重きが置かれているとの声を紹介」している。
 韓国メディアも「WBCで使う公式球は米国ローリングス社製とし、試合の開始時間の不公平や決勝戦の日程変更など、金儲けを優先し米国の意向に沿った運営の問題点を指摘」している。

なぜ野球の人気が落ちるか
米国大リーグ機構(MLB)が、WBCの運営に躍起となるのは、そもそも野球に対する人気がガタ落ちで、野球好きは米国内でも11%、30歳以下ではわずか7%だ。自国ファンをつなぎ留めるには、WBCの開催が欠かせなかった。
なぜ人気がないのか。まず野球をやりたくとも、グローブ、バット、プロテクターなど、道具を用意するのに思いもよらぬ金がかかる。戦後のひもじい生活を送った筆者には、子供時代にはグローブすら高くて買えなかった。野球はお大尽の子がやるもの、貧しい子は道具が要らず、ボール1つあればプレーできるサッカーだった。
今でも野球の道具は高いし、ホームベースの裏側にネットを張った専用グランドが必要だし、ボールだってバカにならないほど使う。聞くところによると、1試合平均10ダース(120球)、多い時は180球も使われるという。
 プロ野球では一度土に触れて交換した球は二度と試合では使わず、練習球になるという。1球2,648円(税込み)もする。さらに試合時間も4時間を超える場合がある。これほどの経費と時間を要するスポーツはない。

FIFAのサッカーW杯運営
これでは野球の人気が衰えるのも無理はない。日本における野球の競技人口は730万人、サッカーの競技人口は750万人と並ぶが、世界で見ればサッカーは2億6千万人、野球は3500万人。サッカーの競技人口・人気は圧倒的だ。
サッカーの最高峰ワールドカップ(W杯)は、FIFA(国際サッカー連盟)が主宰する。そこには国際連合の加盟国193よりも多い世界各国211のサッカー競技連盟が加わる。世界各地のサッカー選手が、各レベルの予選を勝ち抜き、母国の誇りを胸にW杯の頂点を目指して、しのぎを削る。その魅力は計り知れない。
昨年のサッカーW杯では、スペインとの予選で三笘薫選手がゴールラインギリギリのボールを拾った「三笘の1ミリ」で逆転勝利。今回のWBCでも源田壮亮内野手が、メキシコ戦で盗塁を防ぐ「源田の1ミリ」が話題となった。だがWBC は米国大リーグ機構(MLB)の1組織が主催するイベント。サッカーW杯に適うわけがない。

サッカー並みの人気へ
世界レベルのWBCにしていくには、アフリカ、中東、東南アジア諸国に野球コーチや講師を派遣し、チームを作って参加できるようにする努力が欠かせない。米国のMLBが、それを担う覚悟があるかどうか。
 実際は「試合が長過ぎる」といった声に対応し、スピーディーな展開を目指す、投球間に時間制限を設ける「ピッチクロック」「極端な守備シフトの禁止」「ベースサイズの拡大」などのルール改定で終わるのが関の山かもしれない。
侍ジャパンの優勝を機に子供たちの野球への関心が高まっている。日本野球機構もリトルリーグへの支援を始め、東南アジアの子どもたちに野球道具をリメイクして送るなど、コーチの派遣も含め具体化すべきではないか。
 それにしてもメディアの“はしゃぎ過ぎ”、こうも「侍ジャパン礼賛」の洪水報道が続いては、少し怖くなる。(2023/3/26)
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2023年03月23日

【おすすめ本】岸本聡子『地域主権という希望─欧州から杉並へ、恐れぬ地方自治体の挑戦』─世界に広がるミニシュパリズム 岸本・杉並区政の大いなる挑戦=村田安弘(もと講談社・杉並区在住)

 「杉並は希望だ」と全 国から注目されている。昨年6月、市民と野党の共闘が実り現職の区長を破り、岸本聡子氏が当選した。東京都・杉並区では初めてのリベラル系・女性区長の誕生である。
 新区長、岸本聡子氏はどういう人なのか。岸本氏はベルギーに在住し、NGOの調査研究スタッフとして仕事をし、今、 世界で同時多発的に起きている地域自治主義(ミニシュパリズム)を日本語で発信してきた。その体験を生かして日本に戻り地域に貢献することを考えていたという。

 本書は、ドイツ、スペインからアルゼンチンまで世界で起きている住民運動を紹介している。ベルリンの住宅革命は必読。この動きは「杉並区で始まった変革」につながっていると、岸本氏は語っている。
 新自由主義は世界中で国や自治体が持っていた公共的な役割を縮小、民営化していった。それを住民が連帯して取り戻していこうという動きが広がっているのだ。
 同じ状況だった杉並区も、わずか半年だが大きな変化をしている。区民説明会が開かれるようになり、区長も出席し、区 民の参加も増え、出席者が生き生きと発言している。区のすべての施設は57万人区民の共有財産であるとして、住民無視の道路計画、施設の再編の見直し、学校給食の値下げ、補聴器、 家賃の助成など、矢継ぎ早に区政の転換が進む。
 「日本一透明性の高い自治体を目指す!」とい う。岸本区政の理解と支持は急速に拡がる。本書は「杉並再生」の旗印で あり、自治体から日本を変える壮大な展望に満ちている。(大月書店16 00円)
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2023年03月19日

【今週の風考計】3.19─奄美の田中一村と加計呂麻の島尾敏雄を訪ねて

田中一村の絵画に憧れ…
奄美が育てた芸術家、田中一村と島尾敏雄。二人に抱いている筆者の想いは、年を経ても熾き火のように燃えていた。コロナも沈静化しつつある先週、思い切って奄美大島と加計呂麻島へ行ってきた。画家・田中一村は作家・島尾敏雄より9歳年長だが、ともに69歳の生涯を終えるとは不思議な縁だ。
奄美空港に降り立ち、奄美パーク内にある「田中一村記念美術館」へ直行する。高倉づくりの3つの展示室を回る。栃木〜東京時代の<神童・米邨>から、千葉時代の<新しい日本画を求める>模索を経て、奄美時代の<南の琳派≠ヨ>と観ていくと、その画風の変化に驚かされる。
だが、なんといっても奄美時代の田中一村がいい。50歳を過ぎて独り奄美大島へ移住。大島紬の工場で染色工として働きながら、奄美に生息する亜熱帯の鳥や植生を描き、日本画の新境地を開いた。
 その絵にはソテツやアダンなどが大胆に配され、野鳥アカショウビンが木にとまり、まさに奄美の自然がデフォルメした形で、南国の明るさの内にある翳りを微妙に伝えてくれる。「日本のゴーギャン」といわれるのも頷ける。
 1977年9月11日、和光町の畑にある借家で夕飯の準備をしている最中に倒れ、孤独のうちに69歳の生涯を終えた。

「なつかしゃ家」の旨いもの
鑑賞を終えて田中一村の画集を求めたが売り切れ。落胆を抑えながら名瀬港近くにある宿泊ホテルに向かう。夕食で気分一新しようと、名瀬の繁華街・屋仁川通りの奥にある奄美料理の店「なつかしゃ家」に入る。
平たい竹ざるにピーナッツ豆腐、豚みそ、天然モズクの寒天寄せ、島らっきょうの胡麻和え、伊勢えびのみそソース焼き、塩豚と冬瓜の煮物などが、それぞれ器に盛られ所せましと並んでいる。
 酒は黒糖焼酎の「JOUGOじょうご」をロックで飲む。さらにジャガイモの天ぷら、魚のから揚げ、車エビのほやほや(お吸い物)、ハンダマご飯が出てくる。もう腹いっぱいだ。

楠田書店との不思議な出会い
翌日は金作原原生林をガイドの案内で歩く。高さ10mにもなるヒカゲヘゴは大きな裏白の葉を広げ、その中心部からはゼンマイのような新芽が伸びている。
 そのほかパパイヤ、クワズイモが立ち並ぶ。足もとにはピンクの花を連ねるランの一種アマミエビネが可愛い。亜熱帯植物の宝庫だ。田中一村が絵に描いた理由もよくわかる。
午後は海水と淡水が入り交じる沿岸に自生するマングローブの森でカヌーを漕ぎ、不思議なマングローブの呼吸根のメカニズムに驚く。
 早めにホテルに帰り、名瀬の町を歩く。道沿いに書店があるのを見つける。入って書棚を見ていくと、奄美関係の本がずらりと並んでいる。奄美の歴史ばかりでなく、なんと田中一村や島尾敏雄の本があるではないか。
買えなかった画集の別冊太陽『田中一村』(平凡社)、さらに大矢鞆音『評伝 田中一村』(生活の友社)もある。大枚をはたいて買う。ついでに店主から勧められた、麓 純雄『奄美の歴史入門』(南方新社)も購入。
 この書店の名は、楠田書店(名瀬市入舟町6-1)という。店主の哲久さんと話をしていると、なんと島尾敏雄の息子・伸三さんとは懇意で、11月12日の命日に行われる「島尾忌」には会っておられるという。これも奇遇、何か縁があるのに、我ながら驚くばかり。

島尾敏雄に頭を垂れるとき
さて島尾敏雄の加計呂麻島へは、国道58号線を南下して、古仁屋港から海上タクシーで15分、生間桟橋に着く。そこから運転手&ガイドの車で案脚場の戦跡跡へ行き、また諸鈍のデイゴ並木を歩いた後、エメラルドグリーンの海が広がるスリ浜を経て、島尾敏雄の原点となる呑之浦の海軍特攻廷「震洋」格納壕跡へとたどり着く。
代表作『魚雷艇学生』や『出発は遂に訪れず』に描かれているように、島尾敏雄は九州大学を卒業後、海軍予備学生に志願し第18震洋特攻隊隊長として、180名ほどの部隊を率いて奄美群島加計呂麻島の呑之浦基地に赴任。1945年8月13日に特攻出撃命令を受けたが、待機のうちに敗戦を迎えた。
呑之浦の壕に収められている「震洋」はレプリカだが、実物は長さ5mのベニヤ板を貼り合わせた船体に250キロの爆薬を積んで、ガソリンエンジンで敵艦に体当たり攻撃をする「自殺ボート」であった。
 少し道を戻ると、島尾敏雄の文学碑が建つ公園があり、その奥には「島尾敏雄・ミホ・マヤ この地に眠る」の墓碑が鎮まる。敏雄は1986年11月12日死去。享年69。手を合わせ頭を垂れ祈りをささげる。

奄美に忍び寄る軍拡の音
敵艦への「特攻」という、理不尽な試練に立たされた状況と心情を、どうやって汲み取ろうか思案しつつ、瀬相桟橋からまた海上タクシーに乗って、大島海峡を渡り古仁屋港に戻る。
 その途中の海上で、これまた奇遇、ドでかい海上自衛隊の練習艦「しまかぜ3521」(4650トン)と出会う。甲板には練習生が立ち並ぶ。急ぎカメラのシャッターを押す。
「奄美新聞」の記事によると、護衛艦「あさぎり」(3500トン)と共に奄美駐屯地での研修を目的に古仁屋港に入港したという。その後2隻とも同港沖に停泊するあいだ、練習艦「しまかぜ」の一部が市民に一般公開されたという。
 奄美では、中国をにらみ自衛隊駐屯地の増強が進む。奄美駐屯地では警備部隊やミサイル部隊、電子戦に対応する部隊に610人が配置されている。さらに弾薬庫5棟の工事も続き、古仁屋港は補給・輸送の拠点化に向け約6億円をかける調査が始まる。
いま防衛省は中国を念頭に、「敵基地攻撃能力の保有」を進めるうえで、南西諸島が「防衛の空白地域」だとし、奄美大島から与那国島をつなぐミサイル防衛網の整備に躍起となっている。この16日には、石垣島に陸上自衛隊の駐屯地を設け、570人の隊員・車両200台を配置、さらに長射程ミサイル部隊も置く。
島尾敏雄が提起した平和・文化を育てる「ヤポネシア」構想は、無残にも踏みにじられている。また田中一村が描いた南西諸島の自然や植生は戦争基地の拡張で消失していくばかりだ。(2023/3/19)
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2023年03月16日

【おすすめ本】佐藤和孝『ウクライナの現場から』─戦場ジャーナリストが伝えるロシアの侵略に抗う市民の姿=中村梧郎(フオトジャーナリスト)

 ロシアの電撃的侵略から一年が経った。
 ジャパンプレスの佐藤和孝記者は、3月にリビウに入り、キーウなど戦場を40日間取材。その生々しいルポと写真を収載したのが本書である。
 ロシアがこれでもかと撃つミサイルは、ウクライナ市民の生命と住居、インフラを破壊し、厭戦に追い込むのが狙いだ。
 でも市民は、深さ100メートル余あるキーウの地下鉄へ逃れ、抵抗を続ける。子供たちへのオンライン授業も続く。
 ブチャでは410人が惨殺された。拷問、強姦 のあげくだ。ジャーナリストへの狙撃は18人に及ぶ。著者は「ロシアが意図的に狙ったのは明白だ」と言う。難民は1400人以上となった。

 リビウで市民に「前線に行くのは怖くない?」と聞くと、「それは怖いけど、でも自分の死への恐怖より、この国がなくなる方がもっと怖い」と答える。
 ウクライナは1991年に独立した。再びロシアに支配されるのは死ぬより怖い≠フだ。ゼレンスキーが抗戦を訴えると「41%の支持率が91%に激増」する。侵略との 戦いは国民を一つにする。侵略は許せない、抵抗は正義なのだ。
 「ウクライナは米欧の代理戦争」とする論は、ロシアの主張である。ベトナム戦争でも「中ソの代理」説が出た。「つまらん抵抗をやめたら」と。
 プーチンはネオナチと戦うと叫ぶ。だが本音はクリミアと東部四州の簒奪にある。
 この侵略に終わりは見えない。でもこれが通るなら「世界の独裁者らがお墨付きをもらう」こととなる。空論でなく「生の情報から学んで頂きたい」と、著者は命がけの 取材で訴える。(有隣堂1000円)
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2023年03月12日

【今週の風考計】3.12─「袴田事件」の再審判決に注目! 完全無罪を勝ち取ろう

袴田厳さんに真の自由を
この10日、87歳の誕生日を迎えた袴田巌さん、その胸中は如何ばかりだろうか。明日13日、「再審決定」か否か、東京高裁の判決が下る。おそらく今晩は、不安と期待がないまぜになって、眠れないのではないか。
 浜松生まれの巌さんは6人きょうだいの末っ子。甘えん坊だったが中学卒業後、23歳でプロボクサーに。フェザー級6位までランクされ海外遠征もした。引退後、静岡県清水市の味噌会社に住み込みで働くようになった。
1966年6月30日、その務め先で、一家4人が殺害される事件が起きた。袴田さんは肩や手の傷とパジャマにある血痕を理由に、事件から49日目、30歳で逮捕。過酷な取り調べもあり「自白」へと追い込まれた。
 一審・二審と裁判は続いたが、1980年、最高裁の判決で死刑が確定。48年にわたる獄中生活を強いられてきた。その間、3歳上の姉の秀子さんを始め、弁護士や支援する会は、無罪を証拠づける実験や新資料を広範に集め裁判所に提出し、袴田さんの無実と再審開始を訴え続けてきた。

「再審」開始を求めて
2014年3月、再審請求33年目にして、静岡地裁は再審開始の決定を下した。あわせて死刑と拘置も執行停止とされ、袴田さんは47年7カ月ぶりに浜松の自宅に帰ってきた。
 だが4年後、東京高裁は静岡地裁の再審を取り消す判決を下す。その後も最高裁で審理が続けられ、東京高裁の再審取り消しを却下、東京高裁に審理差し戻しを命ず。そして事件から57年目、遂に明日13日、東京高裁が再審を巡る判決を下す。
「再審決定」の判決を確信しているが、それを不服として、さらに東京高検が「特別抗告」するとしたら、その暴挙は許されない。いまだに袴田さんは死刑囚のまま。選挙権もなければ生活保護も受けられない。もうこれ以上、引き延ばしは止めるべきだ。

「日野町事件」─特別抗告する検察
というのも、この6日、大阪高検は「日野町事件」の再審決定を不服とし「特別抗告」をしたばかりである。それだけに要注意だ。
 「日野町事件」とは、今から39年前の1984年、滋賀県日野町で酒屋の女性が殺害され金庫が盗まれた強盗殺人事件である。容疑者として逮捕された阪原弘さんは、大津地裁、大阪高裁の両判決で無期懲役が言い渡され、2000年の最高裁で刑が確定した。
その後、阪原さんは「警察官に暴行され自白を強要された事実」を告白し、再審請求裁判を起こすが、2011年75歳で獄内病死。翌年、遺族が第2次再審請求を申し立てた。
 その裁判の審理過程で、大阪高裁は新たに開示された証拠を吟味。遺体発見現場の写真などは、自白の根幹部分の信用性を揺るがす内容だと判断。「無罪を言い渡すべき明らかな証拠に当たる」と指摘し、2月27日、再審を認める決定を出した。
ところが大阪高検が「特別抗告」をしたため、最高裁は、受刑者本人が死亡している重大事件を、審理しなければならなくなった。最高裁が大阪高検の「特別抗告」を却下し「再審支持」となっても、大津地裁に差し戻し、またまた裁判がやり直されることには変わりはない。こうも長期化させていいのか。
 検察側に不服があるのなら、再審公判で主張すればよい。なのに「抗告」の手法を使って審理の引き延ばしを図ることは許されない。禁止すべきだ。

再審無罪を勝ち取った免田事件
忘れてならない冤罪事件は数多い。その一つに「免田事件」がある。敗戦後の1948年12月29日深夜、熊本県人吉市の祈祷師宅で4人が殺傷された事件。
 強盗殺人などの罪に問われた免田栄さんは、1952年1月に死刑が確定したが、その後、再審裁判が開かれ、1983年7月28日、死刑囚では初めての再審無罪を勝ち取った。
詳細な記録が刊行されている。高峰武『生き直す─免田栄という軌跡』(弦書房)である。本書は獄中34年を生き抜き、無罪釈放後37年という稀有な時間を生き直した、免田栄の95年の生涯をたどった評伝である。ぜひ読んでほしい。

なぜ冤罪事件が起きるか
被疑者が、いくら事件に関係していないと言っても、警察は脅迫じみた尋問を重ね、かつ逃亡や証拠隠滅の恐れがあるとして、長期にわたる勾留へと追い込む。
 この身体的拘束という心理的不安をあおり、被疑者に「自白」を強要する「人質司法」が、冤罪を生む一つの原因だ。被疑者が不本意でも「自白」に追い込まれれば、捜査機関は「自白」に添った証拠集めに奔走し、客観的な証拠集めが疎かになる。
裁判官は「疑わしきは被告人の利益に」という立場で、証拠を吟味し審議すべきなのに、被告人の「自白」があると、犯人ではとの判断が生まれやすく、かつ検察の言い分を過信しやすくなる。「自白偏重」の弊害は明らかだ。
 それを防ぐためにも「取り調べの可視化」および「証拠の全面開示」を加速し、裁判での審理を迅速・改善していくことが不可欠だ。(2023/3/12)
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2023年03月09日

【出版界の動き】昨年1年間のコミック販売金額は過去最大6770億円

●23年1月の出版物販売金額797億円(前年比6.5%減)、書籍474億円(同7.0%減)、雑誌323億円(同5.8%減)。月刊誌266億円(同3.3%減)、週刊誌56億円(同16.0%減)。返品率は書籍32.8%、雑誌41.8%、月刊誌41.3%、週刊誌44.3%。

●22年1年間のコミック販売金額は、紙+電子を合わせ6770億円(前年比0.2%増)、5年連続の成長で過去最大を更新した。
 紙のコミックス(単行本)1754億円(同16.0%減)、コミック誌537億円(同3.8%減)、合計2291億円(同13.4%減)。コロナ禍による巣ごもり需要が終息、メガヒット作品も少なかったが、コロナ禍前の2019年比ではプラス。
 電子コミックは4479億円(同8.9%増)、コミック市場全体に占める率は66.2%。電子コミックの市場推計は定額読み放題を含む「読者が支払った金額の推計」で、広告収入や電子図書館向けは含まれない。

●図書館流通センター(TRC)の電子図書館サービスが318の自治体で導入。利用可能人口6千万人を超えた。3月までに日本の総人口の過半数が利用できる。3月には神奈川・川崎市、茨木県・つくば市や土浦市でも導入。

●講談社、減収減益の決算─22年度の売上高1695億(前年比0.8%減)。当期純利益は150億(同3.8%減)。デジタル・版権関連の事業収入102億(同10.0%増)、広告収入74億(同5.0%増)が好調に推移し、前年比減を抑えられた。

●『オール讀物』3・4月合併号が創刊92年の歴史で初の電子雑誌版配信の試み。直木賞発表の小川哲さん『地図と拳』と千早茜さん『しろがねの葉』を収載。

●朝日新聞出版の月刊誌「Journalism」が3月で休刊。2008年の創刊で、メディアに関連するテーマやジャーナリズムに関する論考を掲載し、新聞販売店を経由して販売していた。
 あわせて、みすず書房の月刊誌「みすず」が8月号で休刊。出版社のPR雑誌も休刊する危機が迫っているのではないか。
 日販の広報誌「日販通信」も3月号(3/3発売)で休刊。1950年の創刊以来、73年で終止符。WEBサイト「ほんのひきだし」に移行する。
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2023年03月05日

【今週の風考計】3.5─「マスク」を巡って、日ごろの想いをつぶやくとき

マスクへの同調圧力
「マスクを付けるか取るか、それが問題だ」─シェイクスピアも頭を抱えるほどの混乱が広がっている。学校での卒業・入学式のみならず、各種イベントや集会で、どう対応すべきか侃々諤々の議論が続く。
 <一億総マスク時代>のなか、マスクを外して歩いていると、街で目線の合った人から受ける叱責の雰囲気に、慌てて口に手を当て、ポケットからマスクを取り出す。そんな<マスクへの恨み>を抱くのは筆者だけだろうか。
これまでにマスクを巡り、何度、注意されたことか。「鼻マスクはだめ」「飲食時以外はマスク着用!」「図書館でもマスクを」などなど、直接・間接を問わずプレッシャーを感じた経験は数多い。「マスク! マスク!」と迫る、この同調圧力の怖さ、身に染みる。、

<アベノマスク>裁判の判決
今から4年前、あの3億枚も用意した<アベノマスク>、どうなったか。まず安全・有効性に疑問がつき、ほぼ3分の1を廃棄することとなった。
 さらに先月28日、大阪地裁はマスク単価の開示を求めるアベノマスク訴訟に対し、黒塗りにして開示を拒否してきた国へ「税金の使途に関する行政の説明責任を認定し、単価の開示命令」を下す判決を出した。
この判決が確定すれば、随意契約による<アベノマスク>の単価を、国は公表せざるを得なくなる。それだけではない。配布も含めた総経費543億円を始め、安倍政権が続けてきた税金無駄遣いの<桜・森友・加計>などに、疑惑追及のメスを再び入れる絶好の機会が与えられることになる。まさに「マスク恐るべし」。

花粉と黄砂とマスクと
そのマスクを再び「役に立つマスク」にする時季がやってきた。スギやヒノキから飛散する花粉である。マスクをすれば花粉の吸引量は30%減らせる。
 すでに関東から九州を中心に広がり、花粉量が「非常に多い」日が4月中旬まで続く。しかも今年の花粉の飛散量は関東・甲信地方で例年の2倍と予想され、ピークの時期も長くなるという。
また黄砂も襲ってくる。東アジアのゴビ砂漠・タクラマカン砂漠や中国の黄土地帯から、強風で吹き上げられた多量の砂塵が、ジェット気流に運ばれ、浮遊しつつ降下する。
 今年も本格的な黄砂飛来シーズンを迎え、気象庁は「黄砂情報」を発信し警戒を呼びかける。防ぐには「マスク」が一番だ。

マスク不要か コロナ5類へ
いま官邸や永田町ではコロナ規制・マスク着用の緩和に急ピッチだ。4月23日の統一地方選が終われば、5月8日からコロナ感染症の分類を季節性インフルエンザ扱いの5類に格下げし、患者に新たな負担を強いることになった。
 これまで初診料を除けば無料だったのが、自己負担額:最大4170円に引き上げる。10月以降では治療薬ラゲブリオが併用されれば最大3万円を超える。
これでは花粉症や黄砂被害の上に、さらにコロナの傷口に塩を塗る対応としか言いようがない。岸田首相は「さまざまな」との言葉を使いまわし、子育て、同性婚、敵基地攻撃などへの質問にはまともに答えず、肝心の中身はあいまいにし、かつ前言をトーンダウンさせ、「マスク」でフタをする。
 その一方で、軍備拡張・敵基地攻撃・原発再稼働・コロナ5類への格下げなどは、「マスク」を外して即実行の決断だ。どこに顔を向けているのか。国会答弁で踏襲する「マスク」を外したり内ポケットに入れたり、まるで都合よく出し入れするみたいな対応は止めにせよ。(2023/3/5)
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2023年03月02日

【焦点】「インボイス中止を!」フリーランスら直撃 重い納税、消費増税の布石=橋詰雅博

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 政府が10月から実施するという消費税のインボイス(税率や税額が記載された適格請求書)制度。「廃業」につながる死活問題ゆえにフリーランスなど個人事業者を中心に反対の声が日増しに高まっている。
 フリーランスとして働く人が多い出版、アニメ、演劇、映画、俳優・声優などの各団体やフリーランスなどからなる市民グループ「インボイス制度を考えるフリーランスの会(通称:STOP!インボイス)」は相次いで反対声明を出し中止を岸田政権に迫っている。地方経済に悪影響が及ぶと延期や中止を求める意見書を採決した地方議会も急増中だ。
 反対運動に火をつけた「STOP!インボイス」の呼びかけ人の小泉なつみさん(ライター兼編集者)はこう言う。
「一昨年10月、インボイス制度導入で私の負担はどのくらいになるかを税理士さんに尋ねたら驚くほどの金額を提示されました。夫も同業者ですからこれでは家計が立ち行かなくなるとショックでした。インボイスの実態を書いた私のツイッターへの反響は大きく何かアクションを求めていると感じ導入反対を求めるネット署名を12月にスタート。アッと言う間に3万筆も集まり、財務省に提出しました。クラウドファンディングを介して寄せられた約100万円で日比谷野音での反対集会を昨年10月に開いたとき、10万筆を超えたことを報告(=写真上=)。現在15万5000筆に増えています」

仕事がなくなる
 消費税は消費者が支払っていると思いがちだが、実は事業者が税務署に納めている。3%の消費税が導入された1989年は年間売り上げ(年収)が3千万以下の事業者は免税だったが、2004年から1千万以下に引き下げられた。
 今回のインボス制度実施では1千万以下も課税対象となる。例えば年収300万のフリーランスなどの個人事業者が納める消費税は約14万で、経費、健康保険などの社会保険料や所得税、住民税などを差し引くと、自由になるお金は約90万という試算もある。その上に事務作業も煩雑になる。
 納税を避けるため税務署に課税事業者登録をせず、免税事業者として留まる方法もあるが、報酬ダウンや仕事を失う可能性がある。なぜそうなるのかを小泉さんは、
「出版社と下請けのライターとの関係で言えば、未登録のライターは、インボスを発行できませんから出版社がライターの消費税を被ります。従って出版社はそのライターへの仕事の発注では、従前より安い原稿料で依頼することがあり得ます。あるいはインボイスに登録済みの課税事業者に仕事を回すことも考えられ、インボイスを発行できないライターは仕事がなくなる可能性がある」と説明する。
 発注元の出版社から課税事業者への登録要請があれば、ライターは飲まざるを得ない。実際、登録依頼の要請とともに、未登録なら取引価格の変更の可能性があると書かれた文書をライターに郵送した出版社もある(=写真下=)。
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仕事の仲間を分断
 ただ世論の反発は根強く、国会議員も超党派でインボイス制度の問題を考える議員連盟を昨年11月下旬に発足させた。このため岸田政権は免税事業者から課税事業者に転換したら3年間だけ消費税の納税を最大2割とするなどの緩和措置を打ち出した。
 「反対世論の勢いが止まないので少し緩めてやろうというのがこの措置ですが、もともと複雑な制度をさらに複雑化させています。抜本的な解決策とは言い難い。仕事仲間との間に分断を生み、重い納税と事務負担で若手の成長も阻むインボイス制度は中止すべきです」(小泉さん)
 課税事業者への登録は9月中までの予定だ。インボイス制度導入の背景には免税事業者をなくし消費税増税をめざす財務省の思惑が潜んでいる。
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