2023年03月19日

【今週の風考計】3.19─奄美の田中一村と加計呂麻の島尾敏雄を訪ねて

田中一村の絵画に憧れ…
奄美が育てた芸術家、田中一村と島尾敏雄。二人に抱いている筆者の想いは、年を経ても熾き火のように燃えていた。コロナも沈静化しつつある先週、思い切って奄美大島と加計呂麻島へ行ってきた。画家・田中一村は作家・島尾敏雄より9歳年長だが、ともに69歳の生涯を終えるとは不思議な縁だ。
奄美空港に降り立ち、奄美パーク内にある「田中一村記念美術館」へ直行する。高倉づくりの3つの展示室を回る。栃木〜東京時代の<神童・米邨>から、千葉時代の<新しい日本画を求める>模索を経て、奄美時代の<南の琳派≠ヨ>と観ていくと、その画風の変化に驚かされる。
だが、なんといっても奄美時代の田中一村がいい。50歳を過ぎて独り奄美大島へ移住。大島紬の工場で染色工として働きながら、奄美に生息する亜熱帯の鳥や植生を描き、日本画の新境地を開いた。
 その絵にはソテツやアダンなどが大胆に配され、野鳥アカショウビンが木にとまり、まさに奄美の自然がデフォルメした形で、南国の明るさの内にある翳りを微妙に伝えてくれる。「日本のゴーギャン」といわれるのも頷ける。
 1977年9月11日、和光町の畑にある借家で夕飯の準備をしている最中に倒れ、孤独のうちに69歳の生涯を終えた。

「なつかしゃ家」の旨いもの
鑑賞を終えて田中一村の画集を求めたが売り切れ。落胆を抑えながら名瀬港近くにある宿泊ホテルに向かう。夕食で気分一新しようと、名瀬の繁華街・屋仁川通りの奥にある奄美料理の店「なつかしゃ家」に入る。
平たい竹ざるにピーナッツ豆腐、豚みそ、天然モズクの寒天寄せ、島らっきょうの胡麻和え、伊勢えびのみそソース焼き、塩豚と冬瓜の煮物などが、それぞれ器に盛られ所せましと並んでいる。
 酒は黒糖焼酎の「JOUGOじょうご」をロックで飲む。さらにジャガイモの天ぷら、魚のから揚げ、車エビのほやほや(お吸い物)、ハンダマご飯が出てくる。もう腹いっぱいだ。

楠田書店との不思議な出会い
翌日は金作原原生林をガイドの案内で歩く。高さ10mにもなるヒカゲヘゴは大きな裏白の葉を広げ、その中心部からはゼンマイのような新芽が伸びている。
 そのほかパパイヤ、クワズイモが立ち並ぶ。足もとにはピンクの花を連ねるランの一種アマミエビネが可愛い。亜熱帯植物の宝庫だ。田中一村が絵に描いた理由もよくわかる。
午後は海水と淡水が入り交じる沿岸に自生するマングローブの森でカヌーを漕ぎ、不思議なマングローブの呼吸根のメカニズムに驚く。
 早めにホテルに帰り、名瀬の町を歩く。道沿いに書店があるのを見つける。入って書棚を見ていくと、奄美関係の本がずらりと並んでいる。奄美の歴史ばかりでなく、なんと田中一村や島尾敏雄の本があるではないか。
買えなかった画集の別冊太陽『田中一村』(平凡社)、さらに大矢鞆音『評伝 田中一村』(生活の友社)もある。大枚をはたいて買う。ついでに店主から勧められた、麓 純雄『奄美の歴史入門』(南方新社)も購入。
 この書店の名は、楠田書店(名瀬市入舟町6-1)という。店主の哲久さんと話をしていると、なんと島尾敏雄の息子・伸三さんとは懇意で、11月12日の命日に行われる「島尾忌」には会っておられるという。これも奇遇、何か縁があるのに、我ながら驚くばかり。

島尾敏雄に頭を垂れるとき
さて島尾敏雄の加計呂麻島へは、国道58号線を南下して、古仁屋港から海上タクシーで15分、生間桟橋に着く。そこから運転手&ガイドの車で案脚場の戦跡跡へ行き、また諸鈍のデイゴ並木を歩いた後、エメラルドグリーンの海が広がるスリ浜を経て、島尾敏雄の原点となる呑之浦の海軍特攻廷「震洋」格納壕跡へとたどり着く。
代表作『魚雷艇学生』や『出発は遂に訪れず』に描かれているように、島尾敏雄は九州大学を卒業後、海軍予備学生に志願し第18震洋特攻隊隊長として、180名ほどの部隊を率いて奄美群島加計呂麻島の呑之浦基地に赴任。1945年8月13日に特攻出撃命令を受けたが、待機のうちに敗戦を迎えた。
呑之浦の壕に収められている「震洋」はレプリカだが、実物は長さ5mのベニヤ板を貼り合わせた船体に250キロの爆薬を積んで、ガソリンエンジンで敵艦に体当たり攻撃をする「自殺ボート」であった。
 少し道を戻ると、島尾敏雄の文学碑が建つ公園があり、その奥には「島尾敏雄・ミホ・マヤ この地に眠る」の墓碑が鎮まる。敏雄は1986年11月12日死去。享年69。手を合わせ頭を垂れ祈りをささげる。

奄美に忍び寄る軍拡の音
敵艦への「特攻」という、理不尽な試練に立たされた状況と心情を、どうやって汲み取ろうか思案しつつ、瀬相桟橋からまた海上タクシーに乗って、大島海峡を渡り古仁屋港に戻る。
 その途中の海上で、これまた奇遇、ドでかい海上自衛隊の練習艦「しまかぜ3521」(4650トン)と出会う。甲板には練習生が立ち並ぶ。急ぎカメラのシャッターを押す。
「奄美新聞」の記事によると、護衛艦「あさぎり」(3500トン)と共に奄美駐屯地での研修を目的に古仁屋港に入港したという。その後2隻とも同港沖に停泊するあいだ、練習艦「しまかぜ」の一部が市民に一般公開されたという。
 奄美では、中国をにらみ自衛隊駐屯地の増強が進む。奄美駐屯地では警備部隊やミサイル部隊、電子戦に対応する部隊に610人が配置されている。さらに弾薬庫5棟の工事も続き、古仁屋港は補給・輸送の拠点化に向け約6億円をかける調査が始まる。
いま防衛省は中国を念頭に、「敵基地攻撃能力の保有」を進めるうえで、南西諸島が「防衛の空白地域」だとし、奄美大島から与那国島をつなぐミサイル防衛網の整備に躍起となっている。この16日には、石垣島に陸上自衛隊の駐屯地を設け、570人の隊員・車両200台を配置、さらに長射程ミサイル部隊も置く。
島尾敏雄が提起した平和・文化を育てる「ヤポネシア」構想は、無残にも踏みにじられている。また田中一村が描いた南西諸島の自然や植生は戦争基地の拡張で消失していくばかりだ。(2023/3/19)
posted by ロバの耳 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 【今週の風考計】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする