本書は、混迷する社会において「ナラティブ」 という概念を用いることで、生きるヒントを得るに役立つ「人生のマニュアル書」だ。多数の事例とともに社会学や心理学を駆使したアカデミック・ジャーナリズムが息づいている。
そもそもナラティブとは何か。著者は「さまざまな経験や事象を過去や現在、未来といった時間軸で並べ、意味づけをしたり、他者との関わりの中で社会性を含んだりする表現」と定義する。
「時間軸」「意味づけ」「社会性」を包含するナラティブには、「物語」「ストーリー」といった語彙も含まれるという。「今日は何を食べよう?」といった日常の選択から「老後はどうなる?」という将来の不安も、すべて私のナラティブに従って生きているという。では私のナラティブはどこから生まれるのか。
その答えが本書に詰まっている。だから「人生のマニュアル書」なのだ。それだけではない。SNS時代になって私のナラティブが、無意識のうちに他者に洗脳される危険性が大きくなっていると警鐘する。
デジタルデータなどの個人情報を駆使して、米国大統領選などをコントロールしたと分析しているケンブリッジ・アナリティカに対して、著者が行った取材内容は圧巻である。
また、報道におけるナラティブ・ジャーナリズムの可能性も提起している。その関連でニュースの本質を見抜く「本質主義」と個々のナラティブが現実をどう構成するかを問う「構成主義」のアプローチを指摘する。
特に「構成主義」には マルティン・ブーバーの『汝と我』にある「真の対話」の重要性を想起させる。その意味で本書は“希望の書”でもある。(毎日新聞出版2000円)