4月の衆院東京15区補欠選挙で、「つばさの党」が他陣営の選挙カーを追いかけるなどしたとして、6月28日に代表ら3人が公職選挙法違反容疑で再々逮捕された。選挙期間中、黒川代表はテレビのインタビューで<言論の自由>と語っていたが、こうした場面でこの言葉が聞かれるとは思ってもみなかった。
いうまでもなく<言論の自由>は「知る権利」とともに、民主主義社会の根幹をなす権利であり、日本国憲法第21条で保障されている。さかのぼって1889年発布の明治憲法でも第29条において保障されていたが、現実にはすべての出版物は出版条例によって検閲されていた。
明治以降の言論活動はまさに<言論・表現の自由>を獲得するための戦いの歴史だったといっても過言ではない。とりわけ日中戦争、太平洋戦争中の言論圧殺は著しく、1933年の桐生悠々による論説「関東防空大演習を嗤う」事件、1935年の美濃部達吉による「天皇機関説」事件など事例には事欠かない。
評論家の加藤周一は、1936年2・26事件の直後に、矢内原忠雄教授の講義を聴いて、「そのとき私たちは今ここで日本の最後の自由主義者の遺言を聞いているのだということを、はっきりと感じた」(『羊の歌』岩波新書)と語っている。
「言論の死」という言葉は、私の編集者生活のなかで何回となく聞かされた言葉である。作家の城山三郎は「言論・表現の自由は、自由社会の根本で、いわば地下茎のようなもの。この地下茎をダメにすれば芽は出ず、枯れてしまいます」(『表現の自由と出版規制』出版メディアパル)と語っている。
戦後の現憲法下でも、<言論の自由>を巡る闘いは数多くみられる。たとえば1961年の「風流夢譚事件」とそれに続く「嶋中事件」、また1987年の「朝日新聞阪神支局襲撃事件」は衝撃的だった。<言論の自由>は、いまだ獲得途上の権利と言ってよい。
その中で想定外ともいえる「つばさの党」問題が起きると、私たちは改めてSNS全盛時代の<言論・表現の自由>問題を、深く考えざるを得なくなる。名誉棄損を口実に<言論の自由>を束縛する可能性も大きく、SNS書き込みの炎上による、また弾圧が続くことによる、言論の萎縮、自己規制、これらが同時進行で起こりかねない。
50年前私が新米編集者だったころ教えられたのは「どうなるかではなく、どうするかを考えろ」だった。そのためにはいかに多くの情報を得るかが必須だった。いまの人々は、端末に溢れる情報に翻弄されていて、まるで過剰情報社会を当てもなくさまよっているようだ。
世の中のAI化が進むにつれ、SNSを巡る新たな犯罪、悪用、情報遺漏などがますます増大するであろう。ここをどう突破するかは極めて難しい問題だが、いまこそ「情報リテラシー」教育が必要なことは間違いない。
2024年08月26日
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