2024年12月19日

【余生私語録】第16回─韓国「戒厳令」そしてハン・ガン作品と金石範『火山島』を巡って=守屋龍一

◆韓国「戒厳令」6時間で解除、尹大統領への弾劾が可決
 ニュースを見て、まずはビックリ、そんな馬鹿な!と声が出てしまった。韓国「戒厳令」の経緯について、私の友人であり、ブログ<マガジン9>を主宰している鈴木耕さんが、簡潔なまとめをしている。紹介したい。
 <12月3日の夜、韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が発した「戒厳令」は、無残な結末を迎えた。国会議員たちは急遽、議会に参集、その数190人(定数300)に及んだ。そして即座に戒厳令を停止させる議決を行った。
 国会前には深夜にもかかわらず、数千人の市民がつめかけ、銃を構える戒厳軍兵士たちの前に立ちはだかって抗議した。国会内では、議員の秘書や国会職員たちが、兵士の乱入を防ぐために、通路にソファや机を持ち出してバリケードを造った。
 かくして尹大統領の暴虐は、たった6時間で終焉を迎えた……。
 韓国国民は「光州事件」(1980年)などを経て、血と涙と多くの人たちの死で勝ち取った「民主主義」を、ふたたび血と死を恐れずに銃口に身を晒して守ったのだ。>(<マガジン9>連載337回・鈴木耕「言葉の海へ」12/11より)

 そして14日、尹大統領に対する弾劾が国会で可決された。弾劾の是非について、憲法裁判所が180日以内に判断し、弾劾が妥当と認められれば尹氏は罷免され、60日以内に大統領選となる。
 加えて韓国検察は尹大統領(職務停止中)に対し、内乱と職権乱用の疑いで捜査し、検察へ出頭するよう要請しているが、尹氏は拒んでいる。出頭要請に応じない場合でも、検察の捜査で内乱容疑が固まれば、裁判所に逮捕状を請求するという。

◆ノーベル賞の韓国人作家 ハン・ガンさん“戒厳の状況”に衝撃
 ハン・ガンさんは、ノーベル賞の授賞式に臨む10日、“戒厳の状況”に衝撃を受け、「あの夜、武装兵の銃剣を止めようとした人がいるのを見て、この勇気ある行動を、私は誇りに思っている」と語った。
 さらに自身が9歳だったとき、生まれ故郷の韓国南西部・光州で繰り広げられた、1980年5月18日から27日にかけての「光州事件」を思い浮かべたという。
 すでにハン・ガンさんは、その「光州事件」で犠牲者となった一人を、主人公のモデルにした『少年が来る』(井手俊作訳・発行クオン)を著わしている。「光州事件」とは全斗煥将軍らの暴政に抗議し、学生・市民らが民主化を求めて始めた反政府デモに、「戒厳令」を発して無差別に弾圧を加え2千人に及ぶ人々が死傷した。
 ハン・ガンさんの目線は、常に圧政に抗う人びとの心や行動に注がれている。彼女の長編小説『別れを告げない』(斎藤真理子訳・白水社)も例外ではない。今から76年前、すなわち日本が敗戦した後の1948年4月3日、済州島(チェジュド)で起きた「四・三(サー・サム)事件」を扱っている。
 米軍政下にあった朝鮮半島において、李承晩・傀儡政権は、南部地域(韓国)だけの総選挙を画策した。それに対し済州島の人々は、南と北を分断・固定化するとして反対し行動を起こした。それを軍・警察が弾圧し、3万人ともいわれる島民を虐殺した経緯を「通奏低音」において、生と死の緊張感を描き、重い歴史に迫った力作である。これも見逃すわけにはいかない。

◆忘れられない金石範『火山島』を巡って
 私にとって「四・三事件」といえば、金石範『火山島』(各巻箱入り全7巻・文藝春秋)が鮮明に浮かびあがる。まさに済州島で起きた大虐殺の「四・三事件」の顛末を、同島出身の著者が<火山島>という舞台にしつらえ叙述した長編小説である。
 あの「光州事件」が終わって3年、1983年6月15日に第1巻、最終の第7巻は1997年9月25日に刊行されている。なんと14年にわたる刊行だ。本文は8ポ活字で1頁が26字×24行×2段組、各巻平均450頁を超える。
 田村義也さんが全7巻を装幀、済州島を取り巻く海の波を象徴するように、「青海波」模様を箱の外装下地に敷き、雄渾な太明朝で書名と著者名を、各巻それぞれ色違いで浮かびあがらせている。私は刊行されるつど購入し積んでおいた。

 「四・三事件」について、盧武鉉(ノムヒョン)大統領が公式に謝罪した2003年、私は思い立って全7巻を一年かけ、しこしこ読み通した記憶がよみがえる。改めて本棚から引っ張り出し、最終巻の第7巻「あとがき」に目を通す。その中で金石範は、
 「……未曾有の大虐殺で終わった<四・三事件>は、韓国現代史の盲点であると同時に、その盲点自体がまさに現代史の核の部分であって、分断祖国の集中的矛盾の表現たらざるを得ない。
 四十年間、歴史の暗黒のなかに埋められ、徹底して隠蔽されて来た「四・三事件」の‶解放≠ネしには、韓国での親日派問題とともに韓国社会全体のほんとうの‶解放≠もたらすことができないのではないかと思う……」
 と綴り、さらにこう書いている。
 「半世紀近くタブーとなり、そしていまようやく真相解明の歴史の波が打ちはじめている四・三事件に対する私の基本的姿勢である。」(1997年7月時点)
 金石範さんは、1925年10月2日生まれ、今も健在で白寿99歳になる。

◆済州島を訪れて、夕日に輝く漢拏山
 読み通したからには、済州島に行くべしと、2006年12月上旬、2泊3日の旅程で訪れた。朝鮮半島の南端、海に浮かぶ小さな島。島の中央には漢拏山(ハルラサン)がそびえ、季節になると、たわわに「みかん」が実る。なんと「四・三事件」を起こした李承晩が、済州島の景色が気に入ったのか、厚かましくも南部に別荘を建てている。
 地元の通訳ガイドに、「四・三事件」を尋ねると、驚いた顔で「最近までタブーだったが、分断を乗り越えて、私たちのみかんを北朝鮮に送り続けています」と答えてくれた。国立公園の遠く上空にそびえる漢拏山が夕日に輝いていたのを思い出す。(2024/12/19)
posted by ロバの耳 at 05:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 余生私語録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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